かきの佃煮の話・・・3.11あの日を忘れない
2019.03.11 Monday
今日で東日本大震災からちょうど8年となりました。
亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。
当店ではシーズン中ほぼ毎日、かきを販売しております。
当然のことながら、売れ残る事もあります。
そんな時はどうするかというと、自家消費だったり、近所におすそ分けしたり、または、つくだ煮を作って販売したりしています。
2011年3月11日、8年前のあの日もそうでした。
たくさんの注文があったため、震災当日も、従業員総出で早朝からかきむき作業をしておりました。
12時ころには、むき身で60キロほど生産を終えていました。
販売先も決まっていました。
午後2時46分、とてつもなく大きな揺れが長く続きました。
とても長く感じました。
直後に大津波警報が出されたとの防災無線が鳴り響き、ただ事では済まないと思いました。
従業員を避難誘導したのち、私一人残り片付け、戸締りをして逃げるように近くの橋の上に走りました。
従業員も私も無事でした。
しかしながら漁船や漁具、養殖施設はほぼ全壊、あるいは流出してしまいました。
不幸中の幸いにも松島特有の、島の多い地形に守られ、津波の威力が抑えられ、自宅と店舗の津波浸水はありませんでした。
生産を終えたばかりの、たくさんのかきが残りました。
停電となったため、冷蔵庫、冷凍庫は使えませんでした。
販売先も被災したため、生産したかきは受け入れてもらえませんでした。
また、関東から旅行に来ていて、近くのホテルに宿泊していた、当日お買い上げいただく予定だった60名ほどのお客様が震災により、帰れなくなりました。このため、こちらのお客様も購入をキャンセルせざるを得ない状況となりました。
60キロのかきをどうしようか悩みました。
10キロづつ、3ヶ所の避難所に配りました。
食料が不足していて、且つ疲労や不安がたまっている住人であふれていたので、「かきは疲労回復の効果もあるんだよ」
と説明すると、ものすごく感謝を頂きました。
それでも30キロが残っていました。
停電していましたが、私の所はプロパンガスのため、配給の飲料水を使って、幸いにも調理することができました。
30キロの残ったかきは、日持ちのするつくだ煮となりました。
近所におすそ分けしたり、少しづつですが店頭で無料で配布したりしました。
私自身も数日間、毎日かきの佃煮を食べていましたが、不思議と飽きることはなく、とても美味しかったのを覚えています。
かきのつくだ煮を食べる時には必ずと言っていいほど、あの時のことが思い出されます。
3.11・・・忘れない。ずっと。